目次
1 はじめに
2022年2月24日のロシアのウクライナ侵略後、国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)検察局は、ウクライナ事態に対して捜査を開始し、2023年3月17日、ICCは正式にプーチン大統領に対する逮捕状を発付しました。これに対し、ロシアは、日本人の赤根智子裁判官を含む3名のICC裁判官や検察官を指名手配しました。これらの事実についてはニュース報道でご存知の方も多いと思います。
とはいえ、ICCとはそもそもどんな裁判所?何についての裁判をしているの? ICCの日本人女性裁判官になぜ指名手配?と疑問のある方も多いかと思います。
そこで、ICCの実態をより深く知るべく、2023年9月14日、愛知県弁護士会国際委員会主催の活動として、オランダ・ハーグ所在のICCを視察し、ICCの赤根智子裁判官(当職のロースクール時代の恩師)と会談してきました。
(なお、今回のコラムはやや専門性が高いため、法律に馴染みのない方は、4項(ICCの裁判について)は読み飛ばしてもらって大丈夫です)。
2 国際司法裁判所(ICC)の概要
(1)ICCについて
ICCは、国際刑事裁判所に関するローマ規程(以下「ICC規程」。1998年採択・2002年発効)に基づき設立された歴史上初めての常設の国際刑事法廷です。
2002年に誕生した比較的新しい裁判所とはいえ、国連機関である国際司法裁判所(ICJ)の強制管轄受諾宣言国よりも多い123か国がICC規程の締約国となっています(アメリカ、ロシア、中国は非締約国)。
(2)ICCが裁く犯罪
ICCでは、国際社会全体の関心事である最も重大な4種類の犯罪(集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪)を犯した個人を訴追・処罰することを任務としています。
今回のプーチン逮捕状発付に関する嫌疑は、戦争犯罪、具体的には、ロシアによって占領されたウクライナ地域からロシアへの児童の違法な連れ去りになります(ICC規程8条2項(a)(vii)及び同項(b)(viii))。
(3)ICCの構成
ICCの構成は、裁判部、検察局、書紀局からなっています。特に裁判部と検察局については、互いに癒着・干渉が起きないように明確に区分けされており、実際に裁判部と検察局との交流は一切ないとのことです(赤根裁判官・談)。この点日本は、裁判官が訟務検事になったりする「判検交流」と呼ばれる癒着の温床と疑われる慣習が未だに続いています。
ICC裁判部門は18名の裁判官で構成されており、予審部門(7名)、第一審部門(6名)、上訴審部門(5名)となっています。第一審と上訴審については、日本の裁判と同様でイメージしやすいかと思いますが、予審部というのは現在の日本の刑事裁判には無い仕組みです。赤根裁判官の説明によれば、ざっくり言えば、「(日本の検察官+令状裁判官)÷2±α」とのことです(予審部については、後ほど説明します)。
3 ICCの特質
(1)補完性の原則
ICCの特徴は、関係国が捜査・訴追をする能力や意思がない場合のみ管轄を有しており(ICC規程17条1項)、世界各国の国内の裁判所を補完する裁判所という特徴があります。
(2)管轄権
ア ICCの管轄規程
ICCでは、以下の①~③のいずれかに該当する場合にICCの管轄権行使が可能とされています(ICC規程12条、13条)。
- ICC締約国が事態を検察官に付託した場合
- 国連安全保障理事会が事態をICCに付託した場合
- ICC検察官が自己の発意により予備的検討を行った後、予審裁判部が捜査開始を許可した場合
ただし、上記の①と③の場合は、次のいずれかに限って管轄権行使が可能とされています。
(a) 犯罪の実行地国がICC締約国である場合
(b) 犯罪の被疑者がICC締約国の国籍を有する場合
(c) ICC非締約国が裁判所の管轄権の行使を受諾した場合
イ ウクライナに関する管轄
ロシアもウクライナもICC非締約国ですが、ウクライナは2014年と2015年の2度の宣言により、2013年11月22日以降にウクライナ領域内で犯された戦争犯罪等についてICCの管轄権を受諾しています。この受諾に基づき、ロシアのウクライナ侵攻後、ICC検察官はウクライナでの捜査を開始し、自己の発意により捜査開始許可を求めるとともに、ICC締約国に対しウクライナ領域内での事態の付託を促しました。これに日本を含む合計43か国のICC締約国が呼応し、ICC検察官に事態の付託をすることでICC管轄となりました。
少しややこしいですが、上記ア記載のICC管轄規程のうち、ウクライナは上記(c)でICC管轄権を受諾し、日本を含む他のICC締約国が上記①に基づいてICCで裁判ができるようなったというわけです。
(3)締約国の引渡し義務
ICC締約国は、ICCからの逮捕・引渡しの請求があった場合は応ずる義務があります。
この点、国際慣習法上、国家元首には主権免除があると解されていますが、ICC規程は、国家元首や政府の長等に対するICC規程の適用に関し刑事責任からの免除は認められないとされています(ICC規程27条1項)。
そのため、2023年7月20日に南アフリカでBRICS会議が開催されたのですが、南アフリカがICC締約国であることから、プーチン大統領は逮捕されることを恐れたのか同国への外遊をしませんでした。
4 ICCの裁判について
(1)ICCの法廷
ICCの法廷では、判事は通常3名(上訴審5名)で審理がなされます。
以下の写真のとおり、中央に判事席があり、傍聴席から見て左側に検査官と被害者参加人席、右側に弁護人席があります。国際刑事裁判法廷らしく、法廷内の至るところにカメラが設置されています。(本当はICC内部の写真撮影をしたかったところですが、プーチン大統領に対する逮捕状発付後、ロシアのスパイがICCに潜入しようとした事件(事前にオランダ情報機関により発覚)があったため、セキュリティが非常に厳重になり撮影不可でした)。
【国際刑事裁判所の法廷の様子】
ICCホームページ(https://www.icc-cpi.int/about/the-court)より引用
また、写真には写っていませんが、弁護側席の後部(写真右隅)にガラス張りの被告人席があります。傍聴席と法廷との間はガラスで区分けされており、2階席から傍聴するかたちとなります。なお、このガラスは特殊仕様になっており、防弾ガラスであることはもちろんのこと、被害者や証人保護のため、必要な場合にはガラスが一時的にスモーク化して法廷内が見えないようにすることも可能な仕様となっています(スモークガラスは、新型トヨタ・ハリアーに採用されたワンタッチでスモーク化できるルーフガラスと似た仕様と思われます)。
(2)ICCの裁判手続
① 予審
ICCの裁判手続は、ICC概要で触れたとおり、予審、第一審、上訴審があります。日本には馴染みの薄い予審手続ですが、実は戦前の旧刑事訴訟法では予審手続が日本でもありました。もっとも、ICCにおける予審手続は、世界的にも特殊で唯一無二なものとのことです(赤根判事・談)。
予審部の裁判官は、逮捕状の発付、逮捕状の出ている被疑者に関する様々な決定、犯罪事実確認決定手続を行います。この「犯罪事実確認決定」を出すまでが予審部の範囲となります。
犯罪事実確認決定手続の「初回手続」は、赤根裁判官いわく日本の勾留質問に近いものとのことですが、日本と違うのは、この初回手続から検察側と弁護側の対審構造になっているとのことです。
初回手続が終わると、犯罪事実確認決定手続の核心である「弁論期日」を被疑者に告げ、同期日までに検察側と弁護側に必要な準備をするよう促します。検察は最終的な被疑事実を確定した「被疑事実の要旨書」と証拠リストを提出し、弁護側はこれに反論や反証を行います。
以上をもとに、予審部で最終的な「犯罪事実確認決定」が出ると、第一審に送り出すという形態をとっています。もちろんここまでは公判ではありませんが、前記のとおり、検察官と弁護側の対審構造のもと、相応の証拠も開示されるため、犯罪事実確認決定も大半が100ページ以上になるとのことです。
② 第一審
第一審から正式な公判となり、書証の証拠能力や証人尋問のやり方などは日本と似ているとのことです。
ICCならでは特徴としては、犯罪の性質上(例えば戦争犯罪を思い浮かべてもらえるとわかりやすいですが)、証拠の数、被害者や証人数が膨大になるため、審理に長期間かかること、判決書も1000ページ以上になるのが実情とのことです。
これに加え、ICCの裁判官は世界各地から選出されているため、大陸法系の裁判官と英米法系の裁判官では法体系が異なるため、判決の評議も結構揉めることが多いとのことです(赤根裁判官・談)。
(3)裁判のデジタル化
ICCの裁判は非常にデジタル化が進んでおり、公判廷の証人を除き、裁判文書や証拠すべてをデジタル化しなければならないと規則で決まっています。したがって裁判書面や証拠は法廷参加者の目の前にあるモニターに映し出されます。これは便利です。日本の裁判でこれが採用されれば、証人尋問等で証拠を提示するのに証言台までいちいち往復する作業が省けますし、図面などの位置特定のための無駄な尋問のやり取りも省略できるので審理が効率的になります。
また、ICCは「E-courtシステム」と呼ばれる裁判文書管理システムが確立しており、事件記録や証拠は同システムで一括管理されているとのことです。ただし、ハッキングリスクも考慮し、本当に重要な書類や証拠はネット接続しないスタンドアローンPCにて保管されているとのことです。
また、ICCの速記人は非常に優秀とのことで、証人が話した内容は、数秒遅れのほぼリアルタイムでモニターに反映されるとのことでした。ちなみに日本の裁判では、証人等の供述は一旦録音し、それから謄写申請をし、供述調書というかたちで手元に届くのは約1か月後です。日本語はアルファベットだけではないので、いくら速記人が優秀でもICCのようにはいかないでしょうが、近時の音声認識AI(例えばAmazon社のアレクサなど)は非常に優秀ですので、日本の裁判所でもリアルタイムで文字化するITシステムを取り入れてくれればなと思います(でも当面しないでしょうね…)。
裁判のデジタル化については、日本は新型コロナ流行を期にようやくWEB裁判が一部で普及しましたが、まだまだデジタル化は相当遅れているので、このあたりは日本の裁判所も是非参考にして取り入れて欲しいと感じました。
5 ICCと日本
(1)赤根智子裁判官
ICCには世界で123か国の締約国があり、日本も締約国です。その上、アメリカや中国がICC規程に批准していないため、日本がICCの最大の資金拠出国でもあります。また、人材面でも日本は積極的に参加姿勢を示しており、赤根智子裁判官は日本で3番目のICC裁判官になります。
赤根裁判官は愛知県出身で、旭丘高校から東大法学部を卒業後、検察官に任官しました。そして、2005年からは法科大学院教授となり(当職はこのタイミングでお世話になりました)、その後は函館地検検事正、国連アジア極東犯罪防止研修所所長、最高検検事などを経て、2018年からICC判事に就任しました。
そのような中、ロシアのウクライナ侵攻が発生し、前記のとおりICCがプーチン逮捕状を発付していたところ、赤根裁判官が属する予審裁判部が逮捕状担当であったことから、ロシアが意趣返しに赤根裁判官を指名手配するということになったというわけです(ロシアは指名手配の具体的な嫌疑を明らかにしていないことから、法的根拠はテキトーだと思われます)。
なお、これは余談ですが、赤根裁判官は上記のような非常に優秀で華麗な経歴にもかかわらず、裏表のない、とても気さくでチャーミングな方です(ICC視察後もお世話になりましたが、ロシアから指名手配中のためセキュリティ上詳しくお書きできないのが残念です)。このような方が、遠く離れた地で、ロシアの不当な圧力にも屈せず、毅然とした態度で国際的に活躍されていることを一人の日本人として誇りに思います。
(2)ICCの意義と日本の課題
赤根裁判官は、ICCの存在そのものが戦争犯罪等への抑止にはなり得ないというリアリストの視点を持ちつつも、ICCが十分に機能することによって、戦争犯罪や人道に対する罪を犯した者が法に則って処罰されることが具体例をもって世界の人々に知らせることができ、またそうすることがICCの責務であると述べています。
他方で、日本はICC締約国でありながら、戦争犯罪や人道に対する罪などの国内規定がなく、そのような重大犯罪に対する理解も進んでいないことも指摘しています。
ICC規程の締約国になるためには、戦争犯罪等の国内規定を制定することは義務ではないですが、多くの締約国(欧州諸国やアジアでは韓国)ではそのような重大犯罪の実体法を制定し、実際にそうした犯罪を捜査・訴追している国々もあります。そうした現実を日本の法律家や刑事司法関係者はもっと深刻に受け止めるべきと指摘されています。
加えて、台湾有事など日本の安全保障環境は日増しに厳しさを増しており、また国際的人道面からも、ICC規程が定める集団殺害犯罪(ジェノサイド)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪(ICC規程6条~8条の2)について、日本の実体法でも制定すべきであると主張されており、これらの指摘は全く同感です。
日本で重大犯罪が未だに制定されない又は制定される雰囲気すら醸成されないのは、一つには、日本政府が政治的・歴史的経緯から世界152か国が締約しているジェノサイド条約に批准していないため、具体的な政策決定課題に挙がらないことがあります。そしてもう一つは、国民世論が盛り上がらない面も考えられます。すなわち、保守層からは極東国際軍事裁判(東京裁判)にて「平和に対する罪」や「人道に対する罪」という、それまでなかった新たな罪(事後法)を刑事法の大原則である遡及処罰の禁止に反して有罪判決を下したことへのアレルギーがあると思われること、リベラル層からはそもそも戦争犯罪といった“戦争”や“侵略”という名のつく概念に対する忌避感による思考回避があるように思われます。
しかし、2022年2月のロシアによるウクライナ侵略(さらにはブチャでの虐殺)のようなことが21世紀の現在で現実に起こっている上、日本付近の極東アジア地域でも、中国・習近平政権が台湾への武力侵攻の野心を隠そうともしなくなったこと、中国の軍事力急増によって日本の防衛能力を超えていること(このあたりはトシ・ヨシハラ氏の著書『中国海軍vs海上自衛隊』に詳しく解説されています)、これら意思と能力の両面を中国が既に備えている厳然たる現実から決して目を逸らしてはならないと考えます。
先述したとおり、関係国の捜査・訴追をする能力や意思がない場合はICC管轄になります。ということは、日本が第三国からの武力侵攻によってジェノサイドや戦争犯罪被害にあった場合でも、日本国内で重大犯罪の実体法が制定されない限り、その訴追・処罰能力がないとしてICCに全面的に委ねざるを得ず、自国で戦争犯罪等を裁くことができないことを意味します。ちなみにICCの最高刑は原則として禁錮30年(例外的に終身刑)です。法の支配や国際人道的見地からも、日本でも重大犯罪の実体法の制定を速やかに行うべきものと考えます。
6 ハーグについて
少し余談となりますが、ICCは、先述してきたとおりロシアによる指名手配やスパイ潜入未遂事件があったこともあり、セキュリティチェックは厳しく、ICC内にいる方たちも非常にピリピリした張り詰めた雰囲気がありました(赤根裁判官は飄々としていましたが笑)。
ICC視察を終えた後、近くにある「マウリッツハイス美術館」に寄り道し、有名なフェルメールの『真珠の首飾りの少女』を見て、緊張の糸が少しほぐれました。その後のビールでもっとほぐれました。
フェルメールの絵画だけでなく、ホフ池に映る国会議事堂などの歴史的建造物があるビネンホフ地域など、ハーグの街並みの景観はとても美しかったです。オランダに行く機会がある方は、比較的アムステルダムからも近いので、ハーグにも寄られてみることをお勧めします。
7 おわりに
今回と前回のコラム(【国際司法裁判所】視察)の2回にわたり、ロシアのウクライナ侵攻と絡めて、国際裁判所の意義や役割、現状と課題について述べてきました。
ICJとICCはともに常設の国際裁判所であるものの、その役割は異なっており、ウクライナへの侵略について両裁判所が扱う事件の対象、適用法規は異なります。
しかしいずれの裁判も、国際平和や人道問題について、ロシアのウクライナ侵略に対して法的訴追を行い、これに対応する裁判所も厳格に法を適用することで、法の支配による平和で安定した世界を守ろうとするスタンスは共通だと思われます。そしてこのような毅然たる法律家の姿勢が、次にプーチンのようなことを目論む者への牽制にもなるはずです。
これら両裁判は今後も続いていきますので、今後も推移を注視していきたいと思います。
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