目次
1 違法賭博疑惑報道
MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の通訳を務めていた水原一平氏が、大谷選手の銀行口座から450万円ドル(約6億8000万円)を盗んだとするニュースは、日本のみならず、アメリカでも大きく報道されました。
水原氏は、大谷選手の通訳人のみならず、実質的にマネージャーとして公私にわたり献身的にサポートしてきており、大谷選手も大きな信頼を寄せてきたと思われることから、まさかあの人が・・・、と思われた方が大半かと思います。
しかし、犯罪学の見地からみると、本件のような出来事が勃発してしまうことは、後述のとおり十分にあり得るものです。
今回の大谷選手に生じた、いわば側近の不正と、その後の危機管理については、企業や組織の不正防止や危機管理の観点から非常に参考になります。
(なお、本コラム執筆時点(2024年4月10日時点)では、水原氏の不正行為が事実かどうか確定していない段階(無罪推定がある段階)ですので、あくまで大谷選手側のステイトメント及びその後に水原氏が事実関係を概ね認めているとの前提で執筆しており、犯罪事実を断定するものではありません)。
2 人はいかなる場合に不正を犯すか
(1)不正のトライアングル
多数の人間が介在する組織や企業では、古今東西を問わず、信頼していた人間が不正を犯したり、裏切りとも思える行為をしてしまうケースは、残念ながら多々あります。
不正を犯す人は、生来的に不正を働くという素因的な要素ももちろんありますが、実際には人が不正をしてしまう仕組みがあることが大半です。
この点につき、組織犯罪を研究するアメリカの学者ドナルド・R・クレッシーが犯罪者調査を通じて導き出した理論を元に、W・スティーブ・アルブレヒトが、次の3つの要素が結合したときに、人は不正行為を行うことをモデル化しました。このモデルは一般に「不正のトライアングル」と呼ばれています。
- 不正を行う“動機”
- 不正を行うことができる“機会”
- 不正を働いた本人の“正当化”
まず①の「動機」は、不正を犯そうとするインセンティブがあることをいいます。
例えば、経済的に困窮していてお金が必要、上司や会社から強いプレッシャーに晒されていて業務進捗や成果達成に迫られている、などです。
②の「機会」は、不正ができてしまう環境があることを指します。
例えば、特定の個人に業務が集中しており不正が発覚しづらい環境にある、他者の目に触れずに不正が発覚しない可能性が高い環境にあるなどです。
③の「正当化」は、不正を働く本人が不正を合理的に納得できるだけの理由、良心の呵責を乗り越えられる主観的事情があることを指します。
例えば、不正を働いても影響は少ない、他の人もやっている、大して迷惑をかけない、などです。
(2)大谷選手の元通訳人と不正トライアングル
以上の不正のトライアングルの観点から、大谷選手の元通訳人のケースをあてはめてみましょう。
①ギャンブルで多額の損失を被り、身の危険を感じるほどどうしてもお金が必要:動機
②大谷選手の銀行口座の情報を知っていて、一定額以内なら本人に発覚せずに送金ができる:機会
③次のギャンブルで勝てば不正送金分はすぐに穴埋めできるし、不正送金の額は大谷選手の総資産からしたら少ない(影響が少ない):正当化
どうでしょうか。みごとに不正のトライアングルに合致しているのが分かります。今回の事件は、犯罪学の見地からみると、起こるべくして起こってしまったともいえます。
(3)企業・組織の不正防止策
それでは、企業や組織が不正を予防するにはどうしたらよいのでしょうか。
①の「動機」に対しては、組織の中の個人が何を考え、何に悩んでいるかのアンテナを持っておくことが重要になります。
従業員等が分不相応なブランド品や自動車等を所持していないか、借金があるかどうか、ギャンブルやリスクの高い投資(投機)をしていないか、家族や恋人で問題を抱えていないかなど、普段から従業員等とコニュニケーションを密に取り、動機に繋がりそうな事情がないかよく観察しておくことです。そして、このような動機がある人には、不正行為に繋がりやすい環境に置くことを避ける、配置変えをする、動機について相談に乗って悩みや不安を解消してあげるなどが予防策に繋がります。
②の「機会」に対しては、内部統制、権限の分散、適正手続、報告義務が予防策になります。
過大な信頼を置きすぎて監視が甘くなっていないか(内部統制の脆弱性)、業務が一人に集中し過ぎていないか(権限集中の回避)、業務の承認に関する手続がとれているか(適正手続の確保)、行動や文書に関する報告がなされているか(報告義務の徹底)、といった点から、不正の機会を予防していくことが考えられます。
最後の③の“正当化”については、会社や組織として、不正の言い訳を許さない環境をつくることです。
不正はいかなる事由があっても許さない(正当化されない)、コンプライアンス(法令遵守)を徹底する、組織文化や企業倫理を確固として持ち職業上の倫理教育を行うなどが予防策につながります。
3 不正・不祥事に対する危機管理
(1)危機管理とは
先述してきたような平時の不正予防策を講じたとしても、不正や不祥事はどのような企業や業種でも起こり得るものです。
そのため、そのような不正や不祥事が発生してしまった場合(有事)において、どのように対応するかで、顧客や取引先からの信用が失墜するかどうかが決まってきます。
このように、法律家的視点でみる「危機管理」とは、不正・不祥事が発生した場合において、ステークホルダー(顧客、株主、投資家、取引先、世間の信頼感、ブランドイメージなど)からの信頼回復のプロセスのことをいいます。
(2)企業・組織の危機管理策
企業の危機管理は、専門性の高い領域のため本コラムでは概要だけに留めたいと思いますが、先述したように危機管理は信頼回復を図るためのものです。
そのため、危機管理として行うことは、①「事実関係の解明」を行い、②「原因を究明」し、③「再発防止策を策定・実施」することにあります。
このようなプロセスを経ることで、ステークホルダーからの信用低下の防止や信頼回復を図ることが可能になります。
特に、上場企業や大谷選手のようなブランドイメージの高い有名人は、急速な信用低下を防ぐため、不正・不祥事が発覚した場合には、“迅速”な事実調査と初期の情報公表が非常に重要です。
(3)大谷選手の危機管理
今回の大谷選手の元通訳人の不正に対する大谷選手側の危機管理は、専門家的視点でみると、非常にお見事といえるものでした。
大谷選手の元通訳人の不正が発覚したのは、MLB開幕戦を韓国で行った2024年3月20日(日本時間)でした。
当初、水原元通訳は、大谷選手にギャンブルで損失を抱えていることを話すと、不満な顔をしながらも負債を肩代わりして送金してくれたとESPNのインタビューに答えていました。仮にこれが事実であれば、大谷選手が違法賭博に関与していたことになり、大谷選手のブランドイメージは失墜するどころか、メジャーリーグ規定違反になって試合出場は不可、最悪の場合は選手生命剥奪につながるところでした。
これに対し、3月21日、大谷選手側のバーク・ブレトラー法律事務所は「翔平が大規模な窃盗の被害に遭っていることが判明した。この問題は当局に引き渡している。」との声明を発表しました。韓国・日本とアメリカの時差があることを考えると、大谷選手側の法律事務所の声明は、極めて迅速だったことが分かります。
しかも、「窃盗の被害に遭っていることが判明した」とまで発表できるということは、声明の公表までのわずかな時間で、大谷選手の預金口座情報等の調査から、窃盗と認定できるだけの証拠関係を裏取りしたことになります。危機管理における初期調査とその公表のタイミングは、一般的には非常に難しい(情報の正確性と開示の迅速性は相反する)のですが、大谷選手の法律事務所の仕事のスピードはおそるべき迅速性であり、いかに優秀なスタッフを揃えているかがわかります(ただし、弁護士報酬は1時間あたり30万円と非常に高額ともいわれていますので、セレブでないと依頼は難しそうです)。
そして、この法律事務所の声明後の3月25日(日本時間26日)、大谷選手自身にて記者会見を開き、違法賭博に関与していないこと、水原元通訳とのやり取りを明確に発表しました。
この記者会見で述べられたステイトメントは、当然ながら大谷選手側の法律事務所やドジャースの顧問弁護士、広報担当等が、プロの視点から綿密に内容について検討を重ねたものと思われますが、大谷選手自身の口語調で述べられていたのが印象的でした。大谷選手の言葉として発表した方が、危機管理の観点から信頼回復に繋がると判断したのだと思われます。さらに、大谷選手自らが発表しているところに意味があり、疑惑の矢面に立っていることで後ろめたいところがないことを暗にイメージさせ、大谷選手の信用悪化やブランドイメージ低下を防ぐことに寄与しました。
以上のとおり、大谷選手は、不正防止という面では元通訳人に信頼を置きすぎた面では反省点はありますが、危機管理面では非常に優れた対応をしており、不正予防と危機管理の両面で非常に参考になるケースといえるでしょう。
大谷選手の違法賭博関与疑惑が一刻も早く解消され、野球に専心できる環境の下、ドジャースで大活躍することを一ファンとして心から願っています。
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